匠人 稲田憲太郎さん [撮影]
ご縁あって、機会をいただき、
熊本県の伝統工芸に携わる匠人の皆様の取材&撮影を
させていただいた。
正直、伝統工芸に興味はなく、、
しかし、機会をいただいた方への尊敬心から、
とにかくやってみよう!調べてみようと!
よく分からない文字の
オンパレードに四苦八苦しながら、資料を読み、
ネット検索し、機会をいただいた方からも教えていただき、
ビデオを見せていただくなどして、
撮影取材の当日を迎えた。
そのお一人が 肥後象嵌 の 匠人 稲田憲太郎さんだ。
折にふれ、また他の皆様もご紹介させていただきたいと思いますが、
今日は、まず稲田さんのことをblogに書かせていただくことにしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
■加藤清正、その後の細川家の藩主らに守られてきたのが、
伝統工芸に携わる匠人の皆さん。その価値を見出され、
技を磨くことに一心不乱に力を注げる体制が組まれ、
育まれ、熊本の地に根付いてきた。
400年以上経った今もその匠の技は継承され、
数多くの伝統工芸品が熊本には存在する。
伝統工芸品は生活の中で生まれた。
だからこそ、育まれてきた温もりがある。
特別なもの、、、ではなく、それはとても身近なものだった。
+++++++++++++++++
■稲田憲太郎さん
400年以上継承されている国指定伝統的工芸品「肥後象嵌」の匠人だ。
肥後象嵌の歴史は約400年。「象」:かたどる、「嵌」:はめ込む
ことを意味するの。当時の藩主、加藤清正、細川忠興らの時代、
鉄砲や刀の鐔などに鍛冶職人らに象嵌で装飾させたことが始まりだとか。
昨年、日本の三重県で開催された「伊勢志摩サミット」で
各国首脳たちへのお土産に、肥後象嵌が施された万年筆が贈られたことは
皆さんもご存知かも。
稲田さんはオーダーメイドにこだわり、お客様の「こうしたい!」を
一緒になって考え、世界にひとつだけのものを創りだす。
それにしても、この肥後象嵌の行程って、とんでもなく大変。
中でも「布目切り」。鉄に1mm幅に5~7本の溝を縦横斜め逆斜めの
四方向から刻みを入れ、鉄の表面を剣山のようにするんだけど、
肉眼では見えないほど細かい作業なの。まさに神業。。
稲田さんは叔父さんと家の貸主が肥後象嵌師だった影響で、
17歳で象嵌師を志され、高校卒業後、美術店で修業を積んだ後、
人間国宝さんの直弟子となり、27歳で独立された。
でも、独立前後は、昼間は象嵌、
夜は飲食店などのアルバイトで生計をたてられてた。
今では、講演会やセミナー、マスコミ露出も多く、
大手自動車メーカーさんからも応援される有名人へ。。。
でも、有名になられても、けっして偉そうにされず、
謙虚で礼儀正しい方でほんと、誰もが応援したくなる方。
「お客様とともに成長させていただいています」と語る稲田さん。
バックルや名刺入れ、へその緒入れなど、さまざまな依頼に
お客様と向き合って、心に寄り添い、ともに協力して世界に
たったひとつだけの宝物を完成させていく。
そんな稲田さんの家の前には、プロ級の自転車が。
坂道をいつも自転車で駆け巡り、
ジムにも行かれているその身体は、無駄がなく洗練されていた。
体力、精神力、集中力が不可欠な匠人の身体つきに納得。
そして、これからやりたいことは?とお聞きすると、
「作り方は昔の難度の高い技法を追及し続け、
作るのはお客様とともに進化を遂げ創出していきたい」
とおっしゃっていた。
制作中の肥後象嵌。
あちこちに、いろんな道具~^^
鹿の角もあるんだよ。
ほら、稲田さんの後ろに・・・
400年以上も前から受け継がれてきた伝統の技。
今、進化を遂げ、さらなる作品を創り出し、
その人にとって、世界にひとつだけの宝物が完成する。
それは特別だが、かけ離れたものではなく、
とても身近なものとして、その人の宝物として
長く長く生き続ける。。
熊本県の伝統工芸に携わる匠人の皆様の取材&撮影を
させていただいた。
正直、伝統工芸に興味はなく、、
しかし、機会をいただいた方への尊敬心から、
とにかくやってみよう!調べてみようと!
よく分からない文字の
オンパレードに四苦八苦しながら、資料を読み、
ネット検索し、機会をいただいた方からも教えていただき、
ビデオを見せていただくなどして、
撮影取材の当日を迎えた。
そのお一人が 肥後象嵌 の 匠人 稲田憲太郎さんだ。
折にふれ、また他の皆様もご紹介させていただきたいと思いますが、
今日は、まず稲田さんのことをblogに書かせていただくことにしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
■加藤清正、その後の細川家の藩主らに守られてきたのが、
伝統工芸に携わる匠人の皆さん。その価値を見出され、
技を磨くことに一心不乱に力を注げる体制が組まれ、
育まれ、熊本の地に根付いてきた。
400年以上経った今もその匠の技は継承され、
数多くの伝統工芸品が熊本には存在する。
伝統工芸品は生活の中で生まれた。
だからこそ、育まれてきた温もりがある。
特別なもの、、、ではなく、それはとても身近なものだった。
+++++++++++++++++
■稲田憲太郎さん
400年以上継承されている国指定伝統的工芸品「肥後象嵌」の匠人だ。
肥後象嵌の歴史は約400年。「象」:かたどる、「嵌」:はめ込む
ことを意味するの。当時の藩主、加藤清正、細川忠興らの時代、
鉄砲や刀の鐔などに鍛冶職人らに象嵌で装飾させたことが始まりだとか。
昨年、日本の三重県で開催された「伊勢志摩サミット」で
各国首脳たちへのお土産に、肥後象嵌が施された万年筆が贈られたことは
皆さんもご存知かも。
稲田さんはオーダーメイドにこだわり、お客様の「こうしたい!」を
一緒になって考え、世界にひとつだけのものを創りだす。
それにしても、この肥後象嵌の行程って、とんでもなく大変。
中でも「布目切り」。鉄に1mm幅に5~7本の溝を縦横斜め逆斜めの
四方向から刻みを入れ、鉄の表面を剣山のようにするんだけど、
肉眼では見えないほど細かい作業なの。まさに神業。。
稲田さんは叔父さんと家の貸主が肥後象嵌師だった影響で、
17歳で象嵌師を志され、高校卒業後、美術店で修業を積んだ後、
人間国宝さんの直弟子となり、27歳で独立された。
でも、独立前後は、昼間は象嵌、
夜は飲食店などのアルバイトで生計をたてられてた。
今では、講演会やセミナー、マスコミ露出も多く、
大手自動車メーカーさんからも応援される有名人へ。。。
でも、有名になられても、けっして偉そうにされず、
謙虚で礼儀正しい方でほんと、誰もが応援したくなる方。
「お客様とともに成長させていただいています」と語る稲田さん。
バックルや名刺入れ、へその緒入れなど、さまざまな依頼に
お客様と向き合って、心に寄り添い、ともに協力して世界に
たったひとつだけの宝物を完成させていく。
そんな稲田さんの家の前には、プロ級の自転車が。
坂道をいつも自転車で駆け巡り、
ジムにも行かれているその身体は、無駄がなく洗練されていた。
体力、精神力、集中力が不可欠な匠人の身体つきに納得。
そして、これからやりたいことは?とお聞きすると、
「作り方は昔の難度の高い技法を追及し続け、
作るのはお客様とともに進化を遂げ創出していきたい」
とおっしゃっていた。
制作中の肥後象嵌。
あちこちに、いろんな道具~^^
鹿の角もあるんだよ。
ほら、稲田さんの後ろに・・・
400年以上も前から受け継がれてきた伝統の技。
今、進化を遂げ、さらなる作品を創り出し、
その人にとって、世界にひとつだけの宝物が完成する。
それは特別だが、かけ離れたものではなく、
とても身近なものとして、その人の宝物として
長く長く生き続ける。。
2017-08-22 06:57